2016年12月18日日曜日

規格

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規格
形象パターンにおいて性質や法則を想定する場合、これを規格と呼ぶ事にする。

成立と破綻


規格の目的はシミュレーション
本来、形象にルールはない。空間の中に我々が勝手に形を見出して、ルールを設けるのが規格である。だから規格というのは我々が自由に想定できる概念だと言える。
なぜ規格を考えるかと言えば、どの様な規格があれば物理パターンが現れるかを考えるためだと言える。

規格なき選択がされた世界はほとんど崩壊する
世界のつぎの瞬間は自動選択でしかない。どの範囲をどの場所にどの程度の時間抽出してパターンとして解釈するか…この約束事がない世界は混沌でしかない。

規格は結果によってしか保証されない
我々は形象に対して自由に規格を考える事ができるし、それら規格を持つ形象がどの様に空間に配置されている状況でも想定できる。しかし現実の物理世界がどの様なパターンを展開するかは、自動選択による結果でしかない。


速度選択


無駄に複雑な規格は速度選択によって淘汰される



類似選択




知覚パターンと解釈
知覚パターンはある程度は単なる解釈の問題だと言っても良い。つまり時空パターンのうち、知覚パターンは、こういう見方をすれば世界が現れるが、そういう見方をしなければ世界は現れないという、トートロジーとも言える様な単なる解釈の問題という側面がある。
例えば可視光で日常的な地上の世界を見れば我々が知るような形が現れるが、ガンマ線と干渉するパターンはそれより少なくなる。またライフゲームのルールで空間を見れば、それに従った特定のパターンが現れるが、ライフゲームのルールで空間を見なければその特定のパターンは現れない。当たり前の論理である。
 この様にどの様な解釈や規格で世界を眺める事も自由だが、だからと言ってその規格が知覚規格として成立するかどうかは別問題である。どの様な規格でも知覚を構成できるとは限らないからだ。規格としてどれだけ精巧なモジュールを考えたところで、実際は言わばランダムな形象パターンのランダムな選択にさらされる様なもので、その中で知覚パターンを維持できるかが問われる事になる。

知覚パターンだけでなく外部パターンを説明する規格が必用
我々の脳を構成する分子の電荷や質量がある程度狂えば知覚が崩壊するだろうから、我々を構成する知覚規格は物理法則とある程度等価と考えても良いかもしれない。つまり物理法則を無視した場合は、その瞬間に意識が崩壊するので、物理法則という規格が自動選択の際に守られるという考え方である。
 しかしその考え方だけでは我々の体の外部の環境において物理法則が守られる事は説明できない。例えば知覚を維持する範囲で、周囲の物質が宙に浮くなどの物理法則を無視した動きをしないのはなぜかが説明できない。


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